HIVに関して
1996年度前期・民主主義法学研究会例会 大テーマ「HIV」・今回のテーマ「官僚」(1996年6月13日)より


民法研6/13例会の藤本レジュメの主文をそのまま掲載します。


T はじめに

官僚といっても範囲が広い。そこで、HIVをモデルとして官僚と企業の関係を中心に、そのあり方を模索する。なぜなら、HIVを解決するのではなく、第2のHIVを作らないことの方を、我々は模索する必要がある、と感じるからだ。

U 序論
HIV問題での政府(=官僚と政治家)の責任は

<歴史的事実の認識>

川中のレジュメに多くは任せる。しかし、年表を見て、問題となる83年〜85年の事実関係はもう1度頭にいれておいて頂きたい。

☆ 加熱製剤の承認と、非加熱製剤の中止・回収が遅れたが・・・

非加熱製剤のメリット(薬害訴訟の人、ごめんね)
・B型肝炎発生の防止(クリオ製剤ではかなり高い発生率)
  ・家庭治療実現(クリオは扱いづらく通院が必要だか、血液製剤は注射で簡単にできる)
 →→→事実、WFHも83年6月、継続使用に賛同している。

(米国83年3月、日本85年7月と)加熱製剤が遅れたが、、、
・治験がまだ
・国内企業が開発に遅れた・・・85年7月の「一括承認」

要するに、エイズの発生率が小さいのであれば、非加熱製剤はメリットが大きかった。

だが、@83年の回収騒ぎ、A相当の血友病患者がエイズウイルス感染の疑いがあったこと、B既に米国で加熱製剤の「効果」が相当に認められていたこと、から考えても、加熱製剤の「緊急輸入」は本当に不要だっただろうか?

・・・83年末以降は 「緊急輸入」>「継続使用」 では?

それでも < となる理由は?

→日本の製薬会社の保護

官僚の責任・・・人命より企業利益を優先させたこと

<官僚の具体的対応と責任−ただの過失か故意なのか−>

▼ 83年、トラベノール社の2度の「加熱製剤申請」の無視
▼ 83年のトラベノール社汚染製剤の事実の公表をしなかったこと
▼ 輸入血液製剤などに、安易に「安全証明」をつけたこと
▼ 84年3月の血液問題小委員会までの1週間(郡司氏の変貌)−継続使用報告
▼ 84年12月の、血友病患者のエイズ大量感染の事実を公表せず
▼ 85年7月の「一括承認」
▼ 85年7月の承認時に、まだ回収指示をしていないこと

V 本論

何故、厚生省は企業利益を優先したのか

1,厚生省

厚生省
一般会計予算14兆円(国債費等を除いた国家予算の1/3)
その他にも、厚生保険特会、国民年金特会、船員保険特会、国立病院特会の4つの特別会計を有している。
多くのお金→企業とのつながりが生じる。
 また、薬などを扱うという性格上、厚生省に強大な許認可権が生じるなど、様々な行政指導も行われる。

2,行政指導とは

 様々な定義が存在するが、今回私が考える上では、単に、法的根拠がないが事実上強制力のある指導ととらえるだけでなく、「要請」を基本とした、1つの「しくみ」として、広義にとらえたい。

 そのしくみ

(広義の)行政指導→双方のメリットは・・・企業が「制約」があるのに甘んじるわけ

企業のメリット

@ 各会社が「鶴の一声」によって共同歩調をとることができる。(過度の競争の防止)
→いろいろな団体が形成され、「融和」が行われる
A 行政の「予知能力」に従うことで、その「予知」が外れたときの責任を、行政(官僚)に転嫁できる。
→例 「損失補填」事件・・・大蔵省の行政指導
官僚のメリット
@ 法的根拠の存在と関係無しに「迅速な」対応が取れる
A 不作為によっておこる事態からの批判をかわす
   →不景気だと、政府が経済対策を・・・など

→ 結局、双方の責任回避に大きなメリットが見いだせる
また、双方依存体制が存在するからこそ、癒着、天下りといった問題が生ずる。

3,薬害エイズ問題での行政指導とは・・・

・85年7月の「一括認可」(企業のメリット@)
→ミドリ十字など、国内メーカーのための処置
・非加熱製剤の「安全証明」(企業・官僚のメリット)

また、様々な情報かくしは、責任が「半分」という意識、企業を「守ろう」という癒着の意識の双方から生じたのである。(無論、前回の議論にあったように、個人の身の安全、という事情も考慮されるべきだろうが)

4,情報公開制度について(実体については先週のレジュメ参考)

(従来の)責任回避の構造→責任明確化の構造
具体的には
政府の「正しい」判断に全てが従う→各自が分析し、各自の判断と責任で行動する

W 結論

→行政指導、情報公開制度の未成熟など、企業と厚生省が、ある意味で意図せずともくっつくという「制度」が完成しているから。
→「制度」の特色たる、責任回避構造・癒着構造が、互いの利益を守る構造を生み出す

・・・つまり、この「制度」のままでは、(厚生省は責任を認めたが)第2のエイズ問題が起こりかねないのではないだろうか?

X 私見

以上の議論の結論として、私は、官僚と企業のあり方を以下のように改めるべきである、と提案する。

@ 行政指導をできるだけ廃し、許認可権を削減する
A 現在議論されている情報公開制度においては、基本的に例外を設けない
  (個別具体的に安全保障や外交問題では対応すべき)→前回のレジュメ・議論参考
B 厚生省について
 厚生省についていえば、薬の許認可の問題においても、その厚生省の権限をある程度削減すべきであると考える。
 具体的には、治験などの一定条件を満たしていれば、自動的に認可すべきである。薬害問題で言えば、そもそも、トラベノール社の「治験」が84年2月からしか出来なかったが、これは84年1月の「行政指導」以降でなければ、治験が行いづらかったからでもある。

<批判> 命に関わる問題で、厚生省がタッチしないでいいのか?

 厚生省の判断が唯一絶対の判断でないことは明らか。
 むしろ、厚生省の判断にしたがうことによって、製薬メーカーがより安全でないものを作ってもなんとかなってきた歴史を重視すべき。責任を各企業がほぼ完全にとらねばならないのであれば、薬害エイズ問題は生じなかったのでは?
 具体的には、私の私案に従えば、許認可の自動化によって85年7月の「一括承認」の事態は防げ、83年の米国の会社からの加熱製剤の働きかけの時点で、市場に加熱製剤を供給できたと思われる。
 ただ、完全に薬のチェック機能を厚生省から奪うのはよくない。そこで、残す点に関して有効に働くのが「情報公開」となる。「自動的」な認可の体制がチェックさるなら、例えば、日本企業保護のために加熱製剤を認可したくなかった厚生省も、83年の段階で、トラベノール社の加熱製剤に(治験の後に)すぐ認可するしかなかった(その事実が隠せるなら、なんとかなったが)のではないだろうか。

参考文献
前回までのレジュメ
「情報公開法」(松井茂記、96年、岩波新書)
「行政指導」(新藤宗幸、92年、岩波新書)
「日本の行政」(村松岐夫、94年、中公新書)
薬害エイズのページ
LAP
朝日新聞(検索)
衆議院議員高見氏のホームページなど


<別表>エイズ・・・官僚の「罪」年表

1982年
(世界・特に米国)
・エイズがウイルスによる感染との見方が強まる
・特に血友病患者へのエイズ感染が問題になり始める。
・血液製剤の危険性が指摘され始める、が、米国ではクリオの有効性が指摘されつつも、NHF(米血友病財団)も治療法変更の必要無しとする。
(日本)
・バクスター社の非加熱濃縮製剤が承認される。
1983年
(世界)
・3月、トラベノール社の加熱製剤が米で認可。
・5月、アメリカでの非加熱製剤が患者のボイコットなどで使用3割減少。
・6月、WFH(世界血友病連合)15回大会、治療法変更の必要を認めず。
・11月、カナダでも加熱製剤認可
(日本)
・3月 トラベノール社、厚生省に加熱製剤の早期輸入承認を求める
・5月 トラベノール社の汚染非加熱製剤の回収騒ぎがおこる。
→厚生省、事実を公表せず
・同月 トラベノール社、厚生省に再度、加熱製剤の早期輸入承認求める。
・同月 日本臓器の非加熱製剤承認
・6月 安部班長の加熱製剤緊急輸入も含めた「厳戒体制」宣言
・同月 カッターの汚染製剤が輸入
・7月 安部班長、サンケイ新聞でエイズ薬害不安を一笑
    ミドリ十字が安全PR文章を配布
・8月 エイズ研究班第3回会合
    濃縮製剤の継続かクリオかで血液小委員会設置
・10月 家庭療法委員会で安部がクリオへの転換を強硬に反対
1984年
(世界)
・2月 カッターの加熱製剤、アメリカで製造承認
・5月 フランスでも加熱製剤認可
(日本)
・1月 厚生省、加熱製剤の治験を指示
・2月 トラベノール加熱製剤の治験開始
・3月 ヘキスト、カッター(外資系)治験開始
    「日本医師雑誌」にて郡司、緊急対策の必要性主張
    血液製剤小委員会で輸入製剤の継続使用決定、委員会解散
・6月 ミドリ十字、化血研が治験開始
・12月 厚生省、血友病患者163人のうち47人エイズウイルス感染を確認、がマスコミには公表しないとの方針
1985年
(世界)
・3月 アメリカ、輸血血液のエイズ検査決定
・6月 アメリカで非加熱製剤製造禁止
(日本)
・1月 厚生省が各企業に加熱製剤許可申請をするように指示
・7月 厚生省、全ての申請加熱製剤を一括承認。が、非加熱製剤の回収指示なし
    厚生省、輸入非加熱製剤に抗体検査済み証明書の添付指示
    ※凝固因子製剤はたとえ汚染されていても抗体陰性
・9月 厚生省エイズ発症研究班が「血友病患者の四割感染」報告
1986年
・11月 松本エイズパニック 
1989年
・5月 大阪HIV訴訟提訴



1995年
・10月6日 和解勧告
→森井厚生大臣(当時)の「お詫び」発言が問題に
→「和解」は管厚生大臣の正式「お詫び(96.3)」に。


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